写メ日記 ひかり 1573 | 大阪の女性向け・女性用風俗【シンデレラタイム大阪】

写メ日記

Therapist Blog

ひかり(ヒカリ) セラピストブログ

02/27 19:48 UP!!

ひかり

金星の病

金星の病

こんばんは、ひかりです✨


今日も一日お疲れ様でした♪


今日は昨日より少し暖かく、過ごしやすい一日になりましたね^^


暖かくなると季節の移り変わりを感じます。


あっという間に梅雨入りして、夏が来るんだろうなぁと考えていました。


梅雨といえば、梅の季節、、、梅といえば


 


梅毒ですね。


 


梅毒は細菌によって引き起こされる性感染症の一つです。


梅毒はとても面白い歴史を持つ病です。今日は梅毒の歴史についてお話ししようとおもいます。


 


梅毒は、梅毒トレポネーマという螺旋状の細菌が引き起こす病気です。


主な感染経路は性行為であり、まれに出産時に母子感染もします。


梅毒の症状は四期に分けられます。


一期では、陰部や肛門周辺にしこりや潰瘍ができたり、リンパ節が腫れます。


二期には、全身に赤い発疹ができます。これは梅毒性バラ疹と呼ばれます。二期が過ぎると梅毒の症状は消えてしまいます。


この潜伏期に自然治癒してしまう場合もあります。


しかし、数年後にゴムのような腫瘍が身体中にできることがあります。


これが三期で、大体感染から3年後に発生します。


そして四期には、臓器に腫瘍ができたり、神経が侵されて死亡します。


神経が侵されると認知症のような症状も現れ、精神面でも患者を蝕みます。


現在では治療法が確立されていて、梅毒で死亡することはほとんどありません。


ただ、性感染症という感染経路からか、病院に行くことを躊躇する人も多いようです。


しかし早期に治療すればすぐ治る病気だし、他人にうつさないためにも梅毒かもしれないと思ったらすぐに病院に行って欲しいです。


 


 


ここからは梅毒の歴史について語ります。


時は1495年、イタリアはフランスのシャルル8世による侵攻にさらされていました。


ナポリの継承権をめぐって起きたこの侵攻は、ヨーロッパ各国を巻き込んだ国際戦争になりました。


シャルル8世が決定的な敗北を被ったフォルノヴォの戦い、この戦いに参加した軍医が突然現れた病気に関する記述を残しています。


"何人かの武装騎兵、歩兵の顔やら身体やらに、膿汁を吹き出させた膿疱を見た"


別の医師はこの膿疱が性的接触により感染することをすぐに見抜いていました。


1495年に突然現れたこの膿疱こそが、梅毒の歴史の始まりです。


日本における梅毒の最初の記録は1512年に登場しており、わずか17年で世界を半周しました。


 


突然出現した梅毒の起源の推測は初期の頃から行われていました。もちろん荒唐無稽なものもたくさんありました。


井戸に投げ込まれた毒が元だとか、猿と性行したものから広まっただとか、議論に値しないものが溢れる中、新大陸のアメリカに注目する人もいました。


スペイン人のフェルナンデス・オビエードは、梅毒はアメリカ遠征から帰ってきたコロンブスと共にきたと主張しました。


これが梅毒の起源の一つ、コロンブス説です。


実際に、1495年まで梅毒の痕跡はヨーロッパにはありませんでした。


そして、ヨーロッパ人とアメリカ人の接触により、思わぬ交換が行われたのは確かです。


ヨーロッパからは麻疹や天然痘が持ち込まれ、アメリカからは梅毒がやってきたと考えてもおかしくはないでしょう。


近年行われた調査では、外界と接触のないアマゾンの部族の血液を検査したところ、梅毒の抗体が見つかりました。


つまり、先住民には梅毒に対する抗体があり、彼らがヨーロッパ人と接触したことで抗体のないヨーロッパで広まったとされています。


また、梅毒の病変が骨に及ぼす影響から、骨を検査する方法も行われており、ヨーロッパでは1495年以前の人骨からは梅毒の形跡が発見されませんでした。


梅毒の起源については、コロンブス説が優勢ながらもいまだに決着はついていません。


 


閑話休題、梅毒という名前は、1512年時点では、「シナ潰瘍」と呼ばれ、やがてヤマモモに似ているため、「楊梅瘍」と呼ばれるようになり、それが「梅瘍」に変わりました。


 


人々は、治療法だけでなく予防法に関しても研究を始めました。


性感染症の予防に効果的なものは、ずばり、コンドームです。


16世紀にイタリアの解剖学者であるファロッピオが性器に被せるリネン製の鞘を発明します。


ただ、これに関してはほとんど効果がなかったとされています。


なぜならこのリネン製の鞘は性行為後に装着されたからです。(アホかな?)


 


その後時代は400年ほど過ぎ、1917年、オーストリアのヤウレクによって、新たな梅毒の治療法が発見されます。


その名も、マラリア治療法です。


高熱が出るマラリアにわざと感染させて、体温を41度まで上げます。


そうすると細菌は体熱により死滅し、梅毒が治癒されるというわけです。


ちなみに体温が42度になると人間が死にます。


梅毒の症状が引いたら、キニーネを使ってマラリアを治療します。


この治療法ではおよそ15%の患者が死にました。(もはや処刑じゃねーか)


ちなみにこの治療法の発見でヤウレクはノーベル賞を受賞しました。


 


1928年、スコットランドのフレミングがアオカビが細菌の生育を阻止することを発見しました。


これが現代でも使われる抗菌薬剤「ペニシリン」の発見でした。


こうして人類は梅毒に対して決定的な勝利を収めることができました。


ただ残念ながら、梅毒を撲滅することはできていません。


 


以上が梅毒の歴史です。


梅毒は治療ができる病気です。梅毒にかかったかもしれないと思ったら積極的に病院へ行きましょう。


医学の進歩は偉大ですね。


 


ひかりでした

LINE
メール
予約フォーム