写メ日記
Therapist Blog
05/08 09:37 UP!!
ひかり
ミスターサタン
おはようございます、ひかりです✨
今日も一日、頑張りましょう!ってことでたまには朝に写メ日記を投稿してみます。
実は仲良しのセラピストさんのお客様からのリクエストで、ギリシャ神話に登場する神々の解説をしてほしいとあったのですが生憎詳しくなくてですね。
代わりにといってはなんですが、悪魔「サタン」について解説しようと思います。
サタンというと、皆様はどんなイメージをお持ちですか?
悪魔の王、地獄の主、神様の対になる存在としてのイメージをお持ちかと思います。
ですが、サタンというのは非常に複雑な実態を持つ存在です。
サタンというのは、ざっくりいうと旧約聖書や新約聖書に登場する悪の存在です。
しかし、聖書という書物が持つ性質上、サタンの実態は様々に変化します。
まずはサタンの起源についてです。
サタンという言葉は元来、ヘブライ語の「敵対する」や「妨害する」を意味します。
旧約聖書ではときおり、動詞としてサタンが使われ、天使の行いにもサタンの語が使われます。
そんなサタンに定冠詞がついた「ハ・サタン」が登場するのは「ヨブ記」においてです。
「ヨブ記」というのは、ヨブさんがひたすらに可哀想な目に合う話しなのですが、ヨブさんはすごく信仰心の篤い人でした。
それを神様が自慢してました。そこにサタンがやってきて、酷い目に合わせれば信仰心を失うと主張するのです。そしてサタンは神様から許可をもらってヨブさんを酷い目にあわせます。
ヨブさんは家族を全員失った後に全身皮膚病になりました。
この話におけるサタンは、神様に許可を貰う「神の子」の一人でした。
つまり神様の配下、ざっくり天使という理解でもいいです。
最終的にヨブさんは祝福されてハッピーエンドです。
旧約聖書の大半は紀元前に書かれました。
紀元前のユダヤ人は長きにわたり民族的危機に陥ります。
国家の崩壊、強制移住、他民族による支配などです。
ユダヤ人たちはそれを神による試練だと考えました。
そして神に代わって人々に試練を与える存在が、神の下僕であるサタンというわけです。
旧約聖書が出来上がるまでには数百年を要しました。
つまり、「編」によって書かれた年代が全く異なります。
そうなると、同一の存在に言及していても書かれた当時の思想や環境の違いにより、存在の性質が変化していることがあります。
神の下僕であったサタンの存在もやがて変質します。
旧約聖書には悪魔のような存在はほとんどでてきません。
なぜなら神が恵みをもたらすとともに災いを下す存在だからです。
神が災いを下すのだから同じ役割のサタンは不要なんですね。
しかしユダヤ教徒たちはあまりに苦難が続くために、自分たちを庇護しているはずの神が、これほどまでに苦難を科すだろうかと疑問を持ちます。
そこで彼らが想定したのが、神ではない災いをもたらす存在です。
それが「ヨブ記」におけるサタンです。
本来の神は、善と悪の両面を持つ存在だったのですが、やがて神の善性が強調されるようになり悪の側面を他の存在が担うようになります。
他の存在の代表格がサタンというわけです。
やがて悪の側面の分離が進んだ結果、サタンは神から切り離された存在となります。
こうして神の子であったサタンは徐々に悪魔とみなされるようになります。
そもそも悪魔(devil)という言葉は、ギリシア語のディアボロスから来ており、ディアボロスはヘブライ語における「サタン」の訳語なのです。
つまり、悪魔=サタンということですね。
旧約聖書には外典や偽典と呼ばれるものがあります。
正典が正式に認められた聖書であるのに対し、正典ほど権威はないが有用だと認められるものを外典、製作者や年代が偽られており、宗派によって評価が分かれるのが偽典です。
基本的に外典や偽典は正典以後に成立したものであり、サタンは悪魔として扱われています。
こうしてサタンは現在多くの人のイメージにあるようなサタンに変化しました。
さて、これまで旧約聖書におけるサタンについて書いてきましたが、新約聖書ではどのように扱われてきたのか。
新約聖書はキリスト教の聖典であり、当然、成立は紀元後になります。
新約聖書では、サタンは完全に神と敵対する悪魔として描かれています。
たとえば、「ヨハネの黙示録」では、サタンは大天使ミカエルと戦う竜と同一視されています。
「マタイによる福音書」では、荒野においてサタンはイエスを誘惑しますが、拒絶されます。
新約聖書でサタンは何度もキリストの前に現れては、彼を妨害する存在として現れます。
新約聖書の神は、旧約聖書の神と比べるとずっと慈悲深く善性が強くなっています。
それなのに悪が満ちているのはなぜでしょう。
それはサタンこそがこの世界の支配者だからです。
サタンは荒野でキリストを誘惑した時、キリストに世界の支配権をやろうと語ります。
この言葉から、現在の世界を支配しているのはサタンほかならないということがわかります。
ですがやがて救世主によってサタンは駆逐されて神の国が現れるという筋書きです。
このあたりの善と悪という構図はゾロアスター教の影響下にあります。
冒頭に、サタンは複雑な実態を持つといいました。
複雑というのはサタンは様々な存在と同一視されているところにあります。
これまではサタンは一体のキャラクターでしたが、実はたくさんの存在がサタンと呼ばれています。
その代表格がルシファーです。
ルシファーは堕天使の頭領にしてもっとも神に近かった天使だとされることが多いです。
そもそもこのルシファーという存在は、誤読から生まれたものなんです。
重要なのは「明けの明星」という言葉です。「明けの明星」という言葉は、旧約聖書の「イザヤ書」に現れます。
「ああ、お前は天から堕ちた。明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた。もろもろの国を倒した者よ。かつてお前は心に思った。私は天に昇り、王座を神の星よりも高く云々」という文章です。
現在では「明けの明星」は、実在したサルゴン二世、もしくはネブカドネザル二世を指すとされています。
しかし、昔の神学者たちはこれを天使の堕天の様子を描いたものだと考えました。
ヘブライ語だった「明けの明星」は、ラテン語に訳された時に「光を運ぶ者」を意味するルシフェルに置き換えられ、このルシフェルが一体の堕天使を表すとされたのです。
つまり、本来は実在の人物を指していたのに、誤読で堕天使だとされたのです。
そして新約聖書の「ルカによる福音書」にはサタンが天から堕ちるのをイエスが見たとあります。
「イザヤ書」と「ルカによる福音書」の記述は同じ場面だと3世紀の神学者であるオリゲネスは考えました。
ここに、ルシファー=サタン説の爆誕です。
もちろん「イザヤ書」の方は実在の人物を指すのでオリゲネスの考えは勘違いということになります。
さて、ルシファーと混同されたサタンですが他にも多くの存在と同一視されます。
つづいては堕天使アザゼル、そもそもアザゼルという存在はサタン以上に謎です。
旧約聖書に突然神と対比する存在として登場する名詞です。
元来の意味は「荒野」です。
やがてこの謎の存在であるアザゼルは、旧約聖書の偽典「エノク書」において、堕天使の頭だとされます。
堕天使の頭目となったアザゼルですが、人々は堕天使のリーダーってサタンじゃね?と思います。
つまり、アザゼル=サタン説の爆誕です。
マステマという堕天使も人間を試す存在だとされているので、同じ役割を持つサタンと同一視されます。
つまり、マステマ=サタン説の爆誕です。
ベリアルという堕天使は旧約聖書では「無価値なもの」を表す普通名詞だったのがいつのまにか一体の堕天使を表す固有名詞になりました。
新約聖書では出世してキリストと対比されるほどの存在になります。
そんなすごいやつなら、こいつはサタンに違いない。
ってことで、ベリアル=サタン説の爆誕です。
蝿の王であるベルゼブブもサタンと呼ばれる記述があります。
ってことで、ベルゼブブ=サタン説の爆誕です。
サマエルという堕天使も、イヴを誘惑したという記述があるのでサタンがイヴを誘惑したという記述と照らし合わせて、サマエル=サタン説の爆誕です。
このようにサタンはあまりにも多くの存在と同一視されたためにその正体が見えなくなっているのです。
いや、結局誰だよって。
サタンというのは偉大な悪魔の代名詞だったために、強大な悪魔が登場するたびに、同一視されていたんですね。その結果、サタンという存在は、一体の悪魔を指すのか複数の悪魔がその名を持つのかわからなくなりました。
サタンの正体はいまもって謎のままです。
さて、今回の話は以上です。
まだまだ話し足りないことがありますが自分でもわけがわからなくなるのでやめときます。
皆様もサタンと同一視されないように。
それでは。
ひかりでした✨