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ひかり(ヒカリ) セラピストブログ

05/10 19:08 UP!!

ひかり

一攫千金

一攫千金

こんばんは、ひかりです✨


今日も一日お疲れ様でした♪


 


ゴールデンウィークもあけ、だんだんと生活サイクルが戻りつつあるひかりです。


しかし、働きたくないという気持ちもあり、どこかに眠っている財宝でも探し当てて一攫千金を狙いたいですね。


 


一攫千金、一攫千金といえば、


 


銅の巻物ですね。


 


銅の巻物とは、死海文書と呼ばれる文書群のうちの一つです。


20世紀最大の考古学的発見と言われる死海文書、銅の巻物は死海文書の中でも特に異彩を放つ文書です。


 


1947年、ヘドウィンという遊牧民族の少年が洞窟の奥で壺を発見しました。


その壺には古い巻物が入っており、巻物はさまざまな人の手にわたり、最後は学者の手に渡りました。


死海周辺で見つかった文書は死海文書と呼ばれ、分析の結果、現存する最古の旧約聖書の写本だということがわかりました。


当時の最古の写本は1000年ごろに書かれたレニングラード写本であり、死海文書はそれを1000年以上も遡るもので、まさに世紀の大発見でした。


 


エヴァンゲリオンに出てくる裏死海文書?


んなもんねーよ。


 


その後、他にも文書があるのではと発掘が続き死海周辺のいくつかの洞窟から同様の文書が見つかりました。


内容は旧約聖書の正典や偽典、当時のユダヤ教の儀式や規則についてのものでした。


発掘された文書の数は900にも上りました。


もちろん、死海文書を残したのが誰なのかも、人々の興味を惹きました。


 


現代では、ユダヤ教の一派であるエッセネ派が残したものとするのが有力です。


エッセネ派は儀式に偏重していた他の宗派とは違い、砂漠で農耕をしながら素朴な生活を営んでいました。


禁欲を第一とし、ある種共産主義的な共同体を形成していました。


 


そして今回のテーマである銅の巻物、1952年に第三洞窟と呼ばれる場所から調査によって発掘されました。


他の死海文書は羊皮紙やパピルスに書かれたものですが、銅の巻物はその名前が示す通り、銅に書かれているという特徴があります。


銅の巻物は見つかった洞窟から3Q15と区分されました。


発見を受けてヨルダン政府は分析のために銅の巻物をマンチェスター大学へ送りました。


しかし解読が本格的に始まったのは発見から5年が経った1957年のことでした。


 


銅の巻物は酸化して非常に脆くなっており、巻かれた状態からとくことができませんでした。


そこで研究者たちは巻物を23に分割し、文書を再構成することにしました。


試みは成功し、ようやく銅の巻物は解読されることになりました。


 


銅の巻物の最初にはこう書かれていました。


「アコールの谷にある廃墟の下、階段、東向きの入り口、40キュービットの距離、銀の金庫と容器、17タラントの重さ、KEN」


これが最初の四行の内容だとされます。


 


銅の巻物の内容はいわゆる財宝の埋蔵場所だと考えられています。


なんと銅の巻物に記述されている財宝の量は1960年当時の価格で100万ドル、現在の価値に変換すると15億円くらいの価値になるのだとか。


 


しかし物事はそううまくいかず、内容がかなり断片的な上に意味が通りません。


銅の巻物には64の場所が載っており、そのうち63の場所に財宝が眠っているとされています。


しかし現在まで銅の巻物を手がかりにして財宝を発見したものはいません。


なぜ見つからないのかはさまざまな理由があります。


まず単純な問題として、場所が特定できていません。


実はこのアコールという地名も特定されていません。


2000年もたってたらわからない地名も出てきます。


財宝が見つかっていないのはそもそも内容の正確性が低いのかもしれません。


死海文書は主に古いヘブライ語で書かれており、銅の巻物もそれは同じですが、語彙が他の死海文書とは異なっています。


古いヘブライ語は基本的に聖書の形で残っており、語彙が聖書の内容に偏っています。しかし銅の巻物は内容が聖書ではないから、他の古いヘブライ語テクストとは語彙が異なっています。


そのため、解読内容が合っているのかもわかりません。


 


さらに研究者を混乱させていることがあります。


先ほど紹介した銅の巻物の最初の文章の最後の文字、「KEN」これは正確にはギリシャ文字らしいのですが、これの意味が全くわかっていません。


考えられているのが、名前だという説です。


例えば、KENはKendaiosの略称かもしれません。


しかし、文章はこの後も続くため、名前がこの場所に来るのも違和感があります。


この謎のギリシャ文字がさらに文章をわからなくさせている原因です。


 


文章自体が正確性を欠いているという指摘もあります。


実はこの銅の巻物、オリジナルではなくコピーである可能性があります。


この巻物の文章が難解なのは言ってしまえばコピーミスかもしれません。


一部の研究者は、発見された文章の解読が難しいのはこれがコピーであり、コピーしたのはヘブライ語を解さない人物だったかもしれないと考えています。


 


例えば日本語を知らない人がカタカナのシとツを書き分けられるでしょうか。文字を書き写す作業というのは、その言語に精通している人でも間違える時があります。


ましてや銅板にハンマーやノミで文字を彫ったのだとすると、ただ書き写すよりもさらに難しいでしょう。


もし内容に写し間違いがあるのなら、意味がわからない文章になるのも仕方がありません。


 


以上のような理由から、内容から宝の位置を探るのは難しいと思われます。


ちなみに財宝の出所はエルサレム第二神殿だと思われています。


エルサレム第二神殿は、元々はソロモン王が建てたという神殿があったのですが、それは紀元前587年に新バビロニア王国のネブカドネザル2世によって破壊されました。


その後、建設されたのが第二神殿です。


66年、ユダヤ人がローマ帝国に対して反乱を起こしてユダヤ戦争が始まりました。そして70年にはエルサレムは包囲され第二神殿も崩壊してしまいました。


この時、第二神殿からユダヤ人たちが財宝を持ち出した可能性があります。


実際に銅の巻物にはいくつかの財宝の情報があります。


聖別された物品や、十分の一税の蓄え、司祭が着ていた服が記載されていたらしいです。


 


ここまで財宝がある前提で話してきましたが、実際には財宝なんてないんじゃないかという説もあります。


財宝がないという説には二つの根拠があります。


 


一つ目の理由は、エッセネ派の人々の思想に由来します。エッセネ派の人々は禁欲主義でした。そんな人々が果たして財宝をどこかに隠したりするでしょうか。エッセネ派の人々の思想と、隠された財宝にミスマッチがあります。


二つ目の理由は、神殿が破壊された時、宝物も掠奪された可能性が高いということです。


ユダヤ戦争時、ユダヤ人を率いたフラウィウス・ヨセフスは、ローマ軍が第二神殿に攻め込んだ時、多くの財宝が神殿内に取り残されたままだったと語っています。同時代のしかも当事者の証言なのですから、かなりの信憑性があるでしょう。


 


もしかしたら銅の巻物を残したのはエッセネ派の人々ではないのかもしれません。


そうなったら財宝がある可能性も微粒子レベルで存在するでしょう。


そもそもこの銅の巻物は、完全なでっち上げだという説もあります。


年代的には死海文書の一部だとは思われますが、内容については完全な出鱈目だということです。


要するに2000年前のイタズラってことです。


 


以上が死海で見つかった銅の巻物のお話です。


財宝探しより、真っ当に働いて投資でもした方が一攫千金のチャンスはあるでしょうね。


 


皆様も死海に行ったら財宝を探してみてね。


ひかりでした

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